女神の前髪

お気に入りのシーンだけを集めた過去を反芻しているのではいけないということ。

選びぬかれた記憶たち。思い描いていた風景ではなくても、確かに私を幸せな気持ちにする。その先の未来がないことを認めるには、後何日かかるかな。頭でっかちな自分のハリボテを守るのに精一杯で、現実を疎かにしてしまう。だからいつまでたっても女神の前髪は掴めない。

待ち人

楽しいことも悲しいこともあった。どうしようもない出来事に対する抵抗方法とは?そこから思考停止状態。

いつまでも来ない餌を待ってる犬みたい。みんな変わっちゃうしどこかに行っちゃうんだね。私は変わりたくないしどこにも行きたくない。(私にとって居心地のいい)みんなにもそのままでいてほしい。そんな都合のいい話しはあるわけないのだ。このままでいていいはずもない。知ってるよ。そんなことは知ってる。

寂しい深海魚

夜の道を自転車でのろのろ走ると深海魚になったよう。なまあたたかい空気は重苦しくて、水の中をかきわけていくみたいに進んでいかなくてはならない。空を見上げると月に薄靄がかかっていた。海の底から見上げたかのようだった。中途半端な泣きべそをかいた私は、どこか深みに沈みたいなあと思いながら家路を辿った。明日は会社に行きたくない。

出力抑制

今のままじゃこんなに仕事したってどうしようもないと思ったり、でも誠実でさえいればなんとかなるのかもしれなかったり、とにかく何もしたくなかったり。誰とも話したくないし、いや、本当はみんなのことが大好きだけど私のことが好きな人なんてほとんどいないんでしょうと思ってるから黙ってしまう。あるいは空洞みたいな人間だから話すことが思いつかない。だから私の気持ちは伝わらない。相変わらずいい加減で不安定だ。いつでもどこでも泣ける精神状態なのに、誰も私に胸を貸してくれない。仕事中に悲しくなってトイレに逃げても、個室の天井を5秒見上げるとそんな行動を陳腐に感じてしまう。結局泣かずに事務所に戻る。直前までこみあげてきた涙はどこにいったんだろう。きょうを終わらせるための区切りもつけられないままに、むりやりあしたのために布団に入る。

生活

私はほんとうに時間の使い方が下手だし、時間に対する感覚がおかしいのかもしれない。大学2年から休学時の“空白期間”は、時間を湯水みたいにじゃぶじゃぶと消費していた。もう2年以上経っているのに、あのときの感覚が抜けていないのかもね。労せずとも可能な、したいことにはとことん時間をつくすし、いくら自分が望んでいても面倒な工程があるならやる気が萎んでいく。だからネットばっかり見ちゃうんだ。ほんとうは本も読みたいし映画も見たいしどこかに出かけたいけど面倒だ、と、いうことは、ほんとうは私はそれをしたいわけではないのかもしれないね?人生の分岐点では楽な方に流れて、ギリギリで最悪のパターンを脱するということが多い。その程度もどんどん悪い方に落ちてきた。きっとこのままだったら、“最悪”にはまってしまう。ぼんやりとそんな未来が見えているし、とてもこわいけれど、私は今日もぼんやりとネットを見ていたし、この週末もぼんやりと過ごし、来週からは仕事以外はザツに扱う生活を送るのだろう。もうなんにもしたくないというのがほんとうのところ。