ぬるま湯につかる

 9時に起床。テレビから今朝のギリシャ戦の試合結果が流れてくる。引き分けというのが今の日本にとってあまりよろしくない結果であるということは、ワールドカップについて詳しくない私にもわかった。

 私にとってワールドカップは、熱中できたら楽しいだろうなと思いつつもニュースを見て軽く一喜一憂するのに止まっている存在だ。そして最近、好きな人の好きなものであるということも加わった。私は、私の好きな人が朝から悲しんだり落ち込んだりしているかもしれないことにひとりで胸を痛めた。でもそれだけ。親しい間柄でもないので私が彼にできることはそれだけしかない。できること、というのも思いあがった言葉だ。私はひとりよがりで勝手に胸を痛めた。

 

 かろうじて顔を知られているだけのような人を勝手に好きになって勝手に思い続けるというのは、精神衛生上非常に良い。直接与えられるものがないかわりに傷つくことも何もない。自らの安全地帯に彼の亡霊*1とふたりで偽りの花園を築ける。ドラッグ以上に悪質な自分を甘やかす中毒性からは逃れられそうにない。周囲の男性からの現実の自分の評価だとか、自分の醜さや頭の回転の遅さ、性格の悪さなんかから目をそらしていられる。これがもうじき23歳になる女の現状なんだから気持ちが悪い。

 

  恋愛をしたいとは常々思っている。でも私には自信がない。ひとりの人と向き合って、相手に自分の気持ちを伝える自信が。誰かに好きになってもらえる自信が。私ですらわたしのことを好きになれないのに、誰がわたしを好きになってくれるんだろう。自分に自信がない人に惹かれる人はいないというのはきっと本当だ。そして誰からも興味を示されないことにますます自信をなくし、惨めな自分になっていく。

 こういう現実から逃げたくて、私はぬるま湯につかる。疑似恋愛ですらないひとりよがりのひとり遊びをつづける。ふやけてぶよぶよのわたしが湯船から出られる日は果たしてくるのだろうか。

 

*1:私が彼の表面から感じた彼